2019.03.30
清左衛門を始めるきっかけは、母の叔父の北清正おじちゃん。
ゴルフもシングル。清元も書も上手な、お洒落でハンサムなおじちゃんでした。
おじちゃんが経営する日本料理店のオリジナルのお土産として清左衛門は始まったのです。
お店の建築に関しては、いくつものお家やお店を建ててきた経験豊富なおじちゃんと相談しながら。
おじちゃんのひいきの日本建築の工務店にお願いしました。
お店の前に、このくらいの広めの空間取ってくださいってお願いして。(敷地が小さいので建物のスペースにかなり影響しましたけど、大正解でした!)
間取りはこんな感じでって方眼紙に書いて、イメージはこんな感じって写真をいろいろ渡して。ざっくりとお願いしました。生家の石や灯篭、建具なんかも一部使ってもらって。
「大工一代」平田雅哉さんの元で修行した建築家と棟梁なので、何かと制約の多い中で、イメージに近い雰囲気を作ってくださいました。
ただ、販売スペースに関しては、壁も床も照明も、私のイメージとは全く違っていたので、大胆にもここ(店)だけは自分でやりま〜すって言っちゃいました。
自分でやりますって言ってはみたものの、店舗の知識があるわけでもなく、困った私は、当時、とても親しくしていただいていた高名な建築家、今は亡き、中筋修さんに相談しました。華やかなりし80年代後半に建築学会賞をとられた中筋さんは、ほぼ父親世代の人ですが、業界とは全く関係ない、ただ飲みに連れてってもらう若かりし私たちの間でも、ものすごく慕われていた人物でした。
人にはなかなか言えない問題も、中筋さんにだけは結構きいてもらえる、そういう雰囲気の方でした。
清左衛門の店舗デザインに関する相談は、なんてことはない、単純に誰か専門家を紹介してほしいってことだったので、ものすごく気楽に電話しました。「お願いがあるんですけど〜。」って。
こっちの用事でお願いしときながら、ラッキーにまたまたご馳走になることに。
中筋さんとなら、無限大に話し続けたいと思うくらい、絶対的に面白い方でした。いろいろよもやま話を続けてから、
「折り入って、相談とはなんや?」
「あの‥、実は店舗デザインなんですけど。 包装紙とか、パッケージとか、そういうのは適当に自分でやったんですけど、さすがに空間は無理‥。だれか、やってもらえる人、紹介していただけませんか?」
そのあとに続く中筋さんのセリフを、私は、一字一句忘れることは出来ません。いまでも、口調まで真似できます。前から考えてきたんじゃないかと思えるほどのリズムの良さ。
「‥‥嫌や! 北なんか‥、金は出さん、口は出す‥。‥。うまいこと行って当たり前‥‥。もしうまいこと行かんかってみい、俺は、一生何言われるやわからへん!! 嫌じゃ!」
そのあと、いつもの、中筋さんの、親しい人ならみんな知ってる、ニカッと笑う笑顔で一言。
「自分でやりなさい。」
中筋さんの、このあまりに的確なお言葉に私は、「おっしゃる通りっ‥」って笑うしかありませんでした。
当時の青臭い私をこれほど的確に表現することはできないでしょう。
で、前回のブログで書いた通りの、野蛮というか素朴なやり方での店舗デザインになったのです。
建築デザイナーの先生は、センスの良い、かなりのお仕事をされてきた祖母の代からの知人で、とても個性的で面白い方でした。そして、私の話を聞いた上で、桜製作所を紹介してくださいました。
桜製作所ホームページ
こうして、清左衛門の超手作りな店舗がスタートしました。
とにかく、お商売なんかしたことないし、店舗でアルバイトしたこともなかったし、研究する時間もないし‥。むちゃくちゃ式のスタートでした。(むちゃくちゃ式。これは、私が最高に尊敬する方の清左衛門への評価のお言葉です。)
使い勝手がいいとは決して言えないけれど、愛着のあるお店でした。
さて、今回の改装では、これまでの経験、スタッフの意見も聞きながら、気の合う専門家に入ってもらって、いいお店づくりができたらなと思っています。またしても、あんまり時間ないけど。
中筋さん、今度は、意地悪言わないで、いい仕事ができるように、天国でのお計らいお願いいたしますね!!
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