2019.02.10
「不都合な真実」って、間違いなくありますね〜。
大きな力を持つものにとって(例えば、国家とか大企業とか…)の「不都合な真実」は、一般の人たちに伝えられない。
「無添加純正という表現」への圧力について書きたいと思っていたら、添加物に関する不朽の名著「食品の裏側」(安部司著)を思い出しました。
そういえば、いっときこの内容がテレビなどでかなり取り上げられ、皆んなでギョッとしたのに、最近見かけないなあっ〜て。
著者はもしかして消されてしまったのかしら?って心配に…。(安部司さん、ごめんなさい!ゴメンナサイ!)
で、アマゾンで確認したら、著書はベストセラーになっていて一安心。「大丈夫、だいじょうぶ。」
メディアに出ないのは、きっとスポンサーの圧力またはスポンサーへの忖度(そんたく)に違いない!
そうだ、時代が変わってるからきっと動画が出ているはず!
案の定!!
大好きな井筒監督との対談動画がありました。
絶対に絶対に見てください。(ちょっと長いけど。ぜひ、少しだけでも…。)(オジサマ、お二人がとってもいい味で、楽しく怖ろしい内容です。)
動画のあとは、ぜひ本を読んでください!
どうしても、時間がない人は、「食品の裏側」34ページ「私の人生を変えたミートボール事件」から43ページ(このままでは畳の上では死ねないーそう思いました。)までを立ち読みしてください。
さて、「食品に関する不都合な真実」を考えるきっかけになったとしたら、今回の記事は、もうここまでで十分です。
でも〜、もう少しお付き合いいただけるなら、スケールはもっと小さいけど、無添加純正という言葉に対する圧力の話。
詳細は差し控えますが、清左衛門が創業以来使っている「本物の味・無添加純正」という言葉が、色んな所でどんどん使いにくくなっています。
コレまでも「本物の味・無添加純正」という表現に関するバトルというかハードルはけっこうありました。
販売店としての金看板を背負っている百貨店などでは、誇大広告や偽装であっては大変なことになるから、できるだけそういうのは言わないでって感じになるのはよくわかります。
でも、屋号のように使っていて、それがあるからこそ全くブレずにやってこられた、背骨のように大切な魂そのものの言葉を、あー、そうですかって簡単にやめてしまうわけには行かない。
だから、百貨店などで「無添加純正という言葉」を使うときは、使用しているすべての原材料、調味料が、無添加純正である証拠が必要となって、結構手間はかかるけど、今までも、すべて用意しています。
なのに、なぜ、どんどん使いにくくなるの?
ほんとに全く何にも添加物を使用してないメーカーが、うちは使ってないよって言えないなんて、添加物をたくさん使用しているメーカーを利するだけだと思うけど~。
納得の行かない私は「無添加純正という言葉が使えない根拠はなんだろう?」と考えてみた。
事実と明らかに違うわけではないのだから「景品表示法」などで問題になるわけがない。
誰も教えてくれないけれど、雰囲気から察するに…、
「無添加」という表示を見つけると「無添加なんて虚偽表示に決まってる!塩も砂糖も使ってないのか。そんなわけないだろ。」と指摘してくる人たちがいるんじゃないのかな〜、って。
(★黒砂糖以外の砂糖は、添加物なしとは言い切れないのは事実です。加工段階で、加工助剤というものを使うからです。加工助剤は、表示されませんが、黒砂糖以外の砂糖の加工工程ではほぼ使用されています。だから、砂糖を使うとそれがどんな砂糖であっても厳密には無添加とは言えなくなるのです。)
でも私だったらこう答える!
「はい、良質な三温糖と塩は、普通に使ってますよ。」
答えは、ただこれだけ。なんか文句あります?
こんな屁理屈をいうのは、「無添加」といわれると、添加物入りが売りにくくなるから、厳密には、「無添加」なんて言える商品はないだろうと因縁つけて、「無添加」という表現をとにかくやめさせるのが目的としか思えない。
また、面白いサイトも見つけました。
日本食品添加物協会という一般社団法人のサイト。
「いかに、食品添加物が素晴らしいものか」がことこまかに書かれています。
テンカちゃんていう、イメージキャラクターまでいるんですよ。
トップページには、
食品になくてはならない添加物。見直そうその良さを。
って。
(お言葉を返すようで悪いんですけど〜。毎日食品作ってますけど、砂糖以外の添加物なんて見たこともないです。なくてはならないは、間違いなく誇張表現です!)
特に見ていただきたいのは、協会はこう考えますのページ。
2018年のところ、時間あったら読んでください。
「無添加」「不使用」表示に対する見解(平成30年1月)
「無添加」って書くのは不当だとの意見書を出して、あちこちに圧力をかけているみたいです。
添加物は表示義務があるのだから、ことさらに「無添加」って強調するのはおかしいって。
そして、お砂糖を使ったら、無添加と表示してはいけないって。(だから、誰一人、無添加と表示できる訳がないだろうってこと。)
でもね、表示もスペースの問題で省略が免除されたり、添加物をたくさん使っていても一括でさらっと書けたり、表示なんてかなりいい加減なんですよ。表示シールに添加物が記載されてなくても、無添加とイコールではないんです。
たとえば、清左衛門と表示シールが全く同じであっても、その中身が全く違うということは十分あり得るのです。だから、添加物を使用していない場合は「無添加」、それが許されないなら「砂糖以外は無添加」と書くほうが正確だと私は考えます。
その上、この団体は、広告や商品パッケージのみならず、ホームページで説明するのもやめるべきですって。
いったい何なの?
何百種類もある添加物を唯一つも見たこともない、使ったこともない作り手が、証拠も揃えて「無添加」って言って何が悪いっ、て私は思います。
無添加なんてありえないって、屁理屈言う人は、水道水で洗った野菜は、水道水に塩素が添加されているのだから、無添加とはいえないって論法を取るのです。
水道水で洗った野菜と、ハイター加えて洗った野菜が同じと思えますか?
実際、大手飲食店で次亜塩素酸ソーダ(ハイター)を生野菜に添加するのは普通に行われていることらしいです。そういうお店(有名チェーン店)でのバイト経験のあるスタッフ達(複数)から「そのへんのキッチンハイターで野菜洗ってますよ」はじめて聞いたときは、ほんとにひっくり返るほどびっくりしました。
ふつうにお母さんが昔から台所で使ってきた砂糖、塩を使うのと、家庭では見たこともない添加物を使うのを同列に並べて、「どっちも無添加じゃないから一緒」と主張するのは、あざとい小汚いやり方としか思えません。
食品添加物のおかげで、そこそこ美味しくて、華やかで、ボリューミーで、食中毒のない食事が安価に食べられるのは事実です。でも、なぜそうできるのかをひた隠しにするのは間違っていると思います。
少々高価かもしれないけど自然な味の食品を、大切に納得して食べたいというお客様に、ほんとに無添加純正なら無添加純正と、いいもの使ってるならいいもの使ってると、きちんと伝えられる方が、ずっといい社会だと思うんですけど…。
もういちど、添加物について考えてみていただけたら、と思います。
その恐ろしさを隠蔽しようとする人たちが存在するから、少し気をつけようって思っていただけたら…。
そして、全添加物をすべて避けることはかなり難しいにしても、少し気をつけるだけで、身体に入り込む量は3分の1以下から10分の1くらいにはなるって風に考えていただけたらと思います。
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